六甲山系の東端、金鳥山の中腹、神奈備型(円錐形)の古成層185mの頂上に鎮座まします。
延喜式神名帳(905)に記載された式内社で、天王宮とも称す、昭和12年社殿改修の時、境内より弥生式土器石器類が出土し、特に銅戈発掘よりの斯界の注目を集め、磐座、磐境として、古代祭祀遺跡地であります。
社頭には、有名な"灘の一つ火"の古石燈があり、北畑天王講の人達により、千古不滅の御神火を点じ海上安全を祈願しております。
5月4・5日の例大祭は、江戸期の摂津名所図絵(1796)に京都祇園会と同じと記載され、氏子人により賑々しく盛大に奉仕されております。
主な祭礼行事
1月1日 歳旦祭
20日 大俵祭
5月4日 宵宮祭(山車宮入り)
5日 例大祭(神輿巡行)
7月14日 名越祭
由緒
創立年暦不詳なれども境内外地は上代祖神の御霊が鎮座せる磐境の遺跡地にして其れらより発見されつつある石器時代の石斧、石剣、石鉋丁、石鏃類、青銅器時代の銅矛(重文)弥生式土器が前期中期後期に亘り多数出土し、西暦紀元前二、三世紀頃より西暦紀元三世紀頃のものにしてそのいずれもが儀礼的なものたることの考證せられてあるを見ればその頃にはもはやこの霊地に祭祀せられたる證拠なり。また当社は始めに椎根津彦命の子孫たる大和連倉人水守(西暦769)等が祭祀したるとも神功皇后(西暦101)三韓の役の戦利武器を此の社地に収蔵した奉りしより起因するとも又社名の火倉。火の山。烽火場の地より起りしとも称せられる。
尚祝部土器、玻瑠玉の発見せられてあり平安時代の延喜式(西暦927)には社格社名載せ奉りてあり。
鎌倉中期青銅製懸仏の発見されており摂津志には建長2年(西暦1250)重修の棟札の所持せる事を記載する等上代より祭祀の存続せる事実を実證する資料となれり。
天王宮とも称せられ中古本荘近古本庄の庄の氏神にして工業商業者はもとより多くの崇敬の中心となる。
当社の位置は(海抜185米)後に六甲の翠巒を負い前には茅渟の海を一望に見渡す最景勝地にして社頭に燈明台ありて毎夜北畑天王講の人々交替して御神火を点じ近海を渡る船舶の航路安全を祈る灘の一つ火として崇拝せられ古来より航海者などの一針路となる。
これは祖神の代表的事蹟たる海路嚮導の行為とを考え合すとき氏子人の祖神の御遺徳を追慕する行事にして上代より現在に至るまで長年月の間一日として絶やすことなく奉仕し居れり。
灘の一つ火
この石灯籠は、文政8年(1825年)のものですが、往古は、"かがり火"を燃やし、中世の昔より"油"で千古不滅の御神火を点しつづけ、最初の灯台として「灘の一つ火」と海上の船人の目じるしにされました。
古くから、ふもとの北畑村の天王講の人々が、海上平安を願う「祖神」の遺志を継承し、交替で点灯を守りつづけてきたものです。
末社 祓御神社
祭神 天照皇大神
春日大神
---- おもいがき ----
他、境内に八代龍王も祀られている。
八代龍王は、法華経の序品に登場し、法華経の守護を誓う。
"難陀龍王(なんだ)、跋難陀龍王(ばつなんだ)、娑伽羅龍王(しゃから)、和修吉龍王(わしゅきつ)、徳叉迦龍王(とくしゃか)、阿那婆達多龍王(あなばだった)、摩那斯龍王(まなし)、優鉢羅龍王(うはつら)"の八龍王で、雨乞いの神として祀られる。
全国龍王さまの総社
八代龍王神感寺
大阪府東大阪市上四条町1915
電話:0729-82-3551
Fax:0729-82-3552
宗派:真言宗醍醐派
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保久良神社
住所:兵庫県神戸市東灘区本山町北畑字ザクガ原680
電話:078-451-9435
祭神:須佐之男命
大歳御祖神
大国主命
御神徳:厄除開運 健康息災 殖産興隆 家運繁栄
磐座
祭神:椎根津彦命
御神徳:航海交通 開発守護 人生先導 大業成就
神紋:五瓜に唐花
旧社格:村社
氏子:北畑・田辺・小路・中野
式内社
社務所:鷺森八幡神社兼務
朱印料:お気持ち